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2004年12月06日
第一回 エッセイ 「やっ君のスケボー」
僕は小3〜中1の一学期まで広島の安芸中野(あきなかの)という小さな村で家族全員で暮らしてました。
小学校6年生の頃、仲良くしてたのが田上(タガミ)君と、坂井(サカイ)君でした。
ここで軽くメンバー紹介をしておかないとイケマセン。
先ず田上君は一人っ子で、以外と何でもお母さんに買って貰えてました。
妹という強力な競争相手が居て、
毎日ドメスティクバイオレンスが絶えなかった僕には
それはそれは羨ましい限りの環境でした。
坂井君は家が魚屋で、彼も大きな家に住み、
お父さんはその当時安芸中野では珍しいBMWなどを乗りこなす
リッチなフィッシャーマンでした。
あの時代に、あの村でBMWに乗ってる事は、
松茸の生える山を3個持ってるより意味の有るもので、
回りの百姓達を大きくステータスではリードしてた坂井君の親父でした。
ある日、
田上君がスケボーを予告無しに購入し(買ってもらい)
僕と坂井君に見せに来た時の衝撃は、
始めてメロンを食べ、やっとメロンと瓜(うり)の違いが判った時以上の衝撃でした!
そしてその頃それに追い討ちをかけるように
「ボーイズ ボーイズ」というアメリカのティーンエイジャーの日常を描いた映画が大ヒットしてて、
その映画に出てる主役の3人が全員スケボーに乗ってたのです。
スケボーの為なら悪魔に魂を売ってでも欲しくなった僕と坂井君は
その日の晩からお互いの親に泣きつき、
しばらくしてからお互い無事スケボーをゲットする事に成功しました。
映画と同じく三人のメンバーを揃えた僕達はすっかり映画の主人公になりきり、
毎日暗くなる迄、安芸中野村でスケボーに乗りました。
映画の主役の3人はケニー、ダグ、シャーマンだったので
僕達も早速名前をチェンジ!
田上君が「タグ」僕が「モニー」そして坂井君が「サーマン」に決定しました。
僕達3人は来る日も来る日もスケボーを練習しました。
そんなある日の事です、
スケボーの練習をしてる僕らにやっ君がアプローチしてきたのは。
やっ君は僕達より一つ下で顔や名前は知ってたのですが、
余り付き合いも無い近所の小学生でした。
彼はスケボーに乗る僕らを見た時、
生まれて初めて「ほねっこ」を食べたラブラドールの子犬のような
衝撃に包まれてるようでした。
やっ君の体は、氷の湖に穴を開けて釣りをしてたら、氷が割れ、
20分後にレスキュー隊に助けられたオッサンのように震えてました。
その震える体を辛うじてコントロールしながら僕らの持ってるスケボーを指差し
「あんたらの乗っとるもんはなんなんや?」と聞いてきました。
僕達は得意げに
「これはのぉ〜、スケボーいうんじゃいやー!」。
その日やっ君はしばらく僕達の練習風景を見てから帰って行きました。
それから数日後いつものようにスケボーの練習をしてた僕達の所に
自転車に乗ったやっ君が
「お〜〜い、わしも仲間に入れてくれーや〜」と現われました。
やっ君は自転車をパーキングすると、
荷台にくくりつけてあった物を地面にセットしました。
そこにあったのはまぎれも無くスケボーでした。
しかし僕達の持ってるのとは明らかに違う物でした。
そう、そのスケボーは100%オールハンドメイドだったのです!
(やっ君の家はとても貧乏でスケボーが買えなかった、
もしくは買って貰えなかったのではないかと今では推測出来ます。
それにより練習してる僕達を見た時の記憶をのみを頼りに
自らがビルダーになり、今回のプロトタイプの製作を
手掛けたのではないかと考えられます)。
スケボーの形はサーフボードと余り変わらない(ただ小さいだけ)ので、
皆さんも判ると思います。
しかし小学生が家でハンマーとノコギリのみで作ったそのスケボーは
左右も対象では無く、ボードも僕達のように塗装されておらず、
ナチュラルウッドカラーでした。
スケボーの命で有る、ホイルの部分は自分の持ってたローラースケートを流用したもので
(当時はブーツにホイルが直接付いてるような物は無く、
自分の履いてる靴にタイヤの付いたローラースケートの土台を
細いベルト2本位で縛り付けるタイプの物しか有りませんでした)
僕達のホイルより小さく、
タイヤとタイヤの幅も狭く、乗ると恐ろしく安定感が無く、
とても僕らには乗りこなせる代物では有りませんでした。
しかし、運動神経の良かったやっ君はすでに
ニューマシンを僕達に公開する前に練習してたらしく、
僕達と同じトリックを次々と決めてみせ、
新メンバーとしての加入を力強くアピール!
僕達も仲間が増えた事を素直に喜び、その日から僕達4人は
学校が終わるとスケボーに明け暮れました。
そんなある日の事です、あれが起きたのは、、、
近所の大きな田んぼが埋め立てられ、建て売り住宅が作られ始めました。
最初に道路と各家の基礎を作った時点で、そこは僕達のスケボーパークになりました。
アスファルトも新しく、乗っててもガタガタしないのでとても気持ち良く、
車も殆ど通らないので毎日そこで練習してました。
そこに建てられてた家は全部道路から1メートル位上に建てられてて、
全部の家に車が乗り上げれるようにスロープがありました。
そこで僕達はスロープを下まで降りずに、途中から道路にジャンプする練習をしてました。
何回か皆が成功した後、やっ君の番が再び回ってきました
(僕達はマナー良く、一人一人順番に飛んでました)。
やっ君は勢い良くスロープの途中から道路にジャンプしました、
その時です「パーーン!!」という乾いた音が住宅街に鳴り響いたのは!
やっ君のほうを見ると、着地の瞬間に手作りボードのド真ん中に立ってたようで、
彼のボードは真っ二つに割れてました。
ここからは映画のワンシーンのようにスローモーションで見えました。
薄らと瞳に涙を浮かべ、崩れる前のツインタワーのように
小刻みに震える続けるやっ君の体は
もはやスケボーの上では無く、真新しいアスファルトの上に
両足を綺麗に揃えた状態で寂しげに立ってました。
割れたスケボーの前半分はザーーッと、壊れた中心部ほうをズルズル引きずりながら
反対側の溝まで音をたてながら転がり停車。
後ろ半分はやっ君の踵の辺りで、まるで時間が止まったように制止してました。
あのまま広島の原爆資料館に「被爆したスケボー」として展示出来そうでした。
3秒位の静寂の後
「グフッ」と聞こえたと思ったらタグが大笑いし始めました!
ぼくとサーマンもそれにつられるかのように、
精一杯押さえていた笑いのテポドンをやっ君めがけて連続で発射!
気分はもう喜び組です!
もう止まりませんでした。「大丈夫か、やっ君!」などと声をかけても、
顔が大笑いしてる人間からの言葉に耳を傾けるやっ君はそこには居ませんでした。
やっ君はゆっくり動き始め、壊れて2つになった自分のスケボーを
当時誰もが持ってたゴムの両サイドにフックが付いてる小道具で
自転車の後ろのサドルに器用に固定し、帰っていきました。
散々本人の前でも笑ったのに、
やっ君が居なくなったという安心感から僕達は再び大笑いし、
自分達で何度もリプレー(再現)までして1時間位そこに居ました。
今思えば大笑いして可哀想な事をしたと思います。しかし当時小学生の知能では
ドリフのコントを目の前で見た以上のインパクトを受け、
やっ君の気持ちなど考えれませんでした。
やっ君これを読んでたら連絡をくれ、
君にお詫びとして御希望のツアーを一つプレゼントしたい。
今回は自分でエッセイみたいな物を書いて見たかったので、
本来ハワイの情報をお伝えするはずの掲示板にテストケースで書いてみましたが、
とても長くなってしまい、最後迄読んでくれた方には感謝いたします、
ありがとうございました。
尚ここに書いた事は全て事実で、
日本の田舎で過ごした子供時代は今では僕の大事な思い出です。
最後に、その後のやっ君の事を報告させて頂くと、
やっ君は数週間後再びスケボーを持って僕達の前に現われました。
今度のボードはもっと丈夫そうでサイズも僕達より一回り大きな物でした。
しかしその頃既にスケボーに飽き始めてた僕達の間には
以前のようなマジックは無く、自然と連絡を取らなくなりました
投稿者 morty : 2004年12月06日 10:13