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2004年12月08日
第十五回 エッセイ 「デビュー」
このエッセイは僕が音楽に打ち込んでた時代を題材にした物で、過去に掲示板へ書き込んだ「契約そしてプロへ」の続編になっており、
すべてノンフィクションです。
| このエッセイを楽しまれた方は、僕が過去の掲示板に書き込んだ、
ここに来るまでの過程を題材にしたエッセイを是非ご覧下さい
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1996年1月25日、夢にまで見たプロデビューの朝を迎えた。
ある事件の影響で(エッセイ:「契約そしてプロへ」参考)デビューが延期されたが、
プロ契約してからの10ヶ月は長かったようで短かった。
40社近い雑誌のインタビューを始め、テレビの収録も幾つかこなしたし、
初めてのプロモーションビデオの撮影もした。
プロミュージシャンになったんだという実感が、日々少しずつ沸いてきた。
今日は渋谷のタワーレコードでMR.BIGとの合同イベントがある日だ。
僕は昼前に起きるとテレビを付け、狭いワンルームマンションの中で身支度を始めた。
午後1時頃、ドラムの「S」がバンドで長年使用してる機材車で迎えに来てくれた。
この機材車はメンバー全員でお金を出し合って購入したもので、
毎年の車検や毎月の駐車場代も3人で割勘で出してた。
ボロボロだけどアマチュア時代の思い出が沢山詰まったマシンだ。
僕は車に乗り込むと、「S」と二人で渋谷を目指した。
イベントは午後7時からだったのですが、MR.BIGのアコースティックライブの前に、
3曲演奏する事になってた僕たちは、
リハーサルなどの関係も有り、会場入りは午後2時でした。
タワーレコードの入ってるビルに着くと、僕たちは搬入口に機材車を乗り着け、
業務用エレベーターで機材の搬入を始めました。
会場内には既にレコード会社の関係者やタワーレコードの関係者などが沢山来ており、
それまで演奏してたライブハウス会場とは全然違う雰囲気で、
慌ただしく賑わっていました。
そんな中、 僕たちは何年もやってきたように機材をステージ上でセッティングし、
1時間後、リハーサルを始めました。
リハーサルが終わると、今度は「MTV JAPAN」の取材です。
打ち合わせ後、僕たちは30分ほどインタビューアーの質問に答え、
収録が終わった午後5時頃ようやく一段落出来ました。
食事に行く時間も無かった為、
レコード会社が用意してくれた弁当を3人で食べてた時、
MR.BIGのメンバーが会場入りしてきました。
しかし、何か雰囲気がおかしいと、すぐ気が付きました。
「D」の担当ディレクター「N」に聞くと、 MR.BIGのメンバーの一人が、
今回レコード会社が企画した僕たちとのジョイントイベントに
反対してると言われたのです。
僕はエリックとは仲が良かったけど、MR.BIGの残りのメンバーとは
あたりさわり無い関係でしたので、彼等は僕や「D」に特別な感情は持っておらず、
自分たちには何もメリットは無く、「D」にしかメリットのない
今回の企画に反対するのは当たり前だと思いましたし、十分理解出来ました。
午後6時の開場時間になると、お客さんがドンドン入ってきて、
あっという間に開場は一杯になりました。
楽屋に居ても会場の凄い熱気が伝わってきます。
関係者、それまでにお世話になった人たちで楽屋もごった返し、
僕は何度もお世話になった人達へ頭を下げ、挨拶とお礼をしました。
そして午後7時。MCのかけ声と共にイベントはスタートし、
いよいよ僕たちの出番が近づいて来た時、
メンバー1人の反対が有る中、エリックは自らステージに上がり、
マイクを取ると、 僕たちを紹介してくれたのです。
前座のバンドのMCをメインアクトが勤めるなんて前代未聞の出来事でした!
もし自分がMR.BIGのように世界ツアーをこなしてるバンドのメンバーだったら、
アジアの小さな島で知り合いになった人にそこまで出来ただろうか、、、
多少でもカッコを気にし、MCを取るまでは出来ないかったような気がする。
なのにエリックは「僕の大好きな「D」がこれから登場するよ、
みんな準備はいいかい!」と
メインのMCそっちのけで会場をあおってくれたのです!
もちろん会場を埋め尽くしたMR.BIGファンは大興奮でした。
外国のアーティストとの合同イベントという会場の雰囲気は、初めて経験するもので、
多少は戸惑いましたが、演奏が始まれば慣れた物でした。
プロのレコーディングを経験し、
演奏面など、明らかにステップアップした僕たちは、この日も満足のいく演奏が出来ました。
演奏が終わり、ステージを降りると、舞台の袖で見てたエリックが駆け寄ってくれ
「最高の演奏だったよ!凄くロックしてた!」と声をかけてくれ、本当に嬉しかった。
そして僕たちの機材が片づけられ、いよいよMR.BIGの登場です。
ヒット曲の「TOO BE WITH YOU」を始め、新曲も何曲か演奏し、
手が届きそうな距離でMR.BIGを見れたファン300人は大興奮してました。
イベントが終了すると、MR.BIGは会場の出口に先回りし、
会場を後にするお客さん一人一人に握手をしていました。
僕たちはその間に自分たちの機材を搬入口まで降ろし、
機材車に機材を積み込みました。
全ての搬出が終わり、再び会場に戻ると、ちょうどMR.BIGも帰るところでした。
僕はエリックに
「今日は本当にどうもありがとう。反対してるメンバーが居たのに、、、」と言うと、
エリックは「気にしなくていい。僕がやりたくてやったんだから。」
と笑顔で言ってくれました。
エリックと翌日一緒にディナーを食べに行く約束をした後、
僕はバンドのメンバーと打ち上げをするため、
近くの居酒屋「いろはにほへと」へと向かいました。
19歳からライブ活動をしてた僕は、渋谷でライブを行った時は、
いつもこの安い居酒屋を打ち上げ会場として利用した。
これまでいったい何リットルのビールをここで飲んだか判らない。
しかし今日は少し違う。デビューを記念する打ち上げなのだから。
最初はバンドとお世話になった人達合わせて6−7人で飲んでたのだけど、
時間が深夜に近づくにつれ、一人、また一人居なくなり、
最後はバンドメンバー3人だけになった
この日の事は今でも覚えてるが、バンドだけになった時点で
初めて心の底からホッと出来た。
そしてこの時自分が言った台詞を今でも鮮明に覚えてる。
ちょっと変かもしれないが、それは
「今までの生きてた中で、今日ほど頭を下げた事はないような気がする」です。
僕を含め、バンドはモチベーションを常に高め、バンドの方向性などを常に試行錯誤し
、曲やライブのクオリティーを上げるよう日々努力してたが、
沢山のお世話になった人達がバンドのデビューに駆けつけてくれ、
ここまで様々な人達の助けも有ったからこそ来れたのだと、この日再確認した。
この日を僕が一番祝って欲しかった、
そして一番喜んで欲しかったのは僕の母親で有る。
しかし、僕の15歳の誕生日にギターを買ってくれた(最初のチャンスをくれた)
母親はこの1年前に病気で亡くなってしまった。
デビューした翌年、祖母の居る広島に帰ったとき、
小学校の頃から通ってた近所のお好み焼き屋に行った。
そこで「昔、僕が何かの雑誌で出てるのを僕の母親が喜んで持ってきた」と聞いた。
この時の雑誌は僕が送った物だったのだが、
まだアマチュアバンドだった「D」が
川崎の「クラブチッタ」という所で行われ大きなイベントに出た。
沢山のプロバンドが出たイベントだったが、アマチュアバンドが二組(その一つが「D」)出演した。
翌月、ある雑誌にそのイベントの模様が掲載され、
その日出演したプロバンドと一緒に、僕の写真と記者のコメントが出てた。
(「ストレートなロックを演奏してた「D」、、」
みたいなコメントだったと記憶してる)。
切手くらいの大きさの、小さな写真だったが、母親は凄く喜んでくれてたのだと、
この日知った。
こ の頃の僕は、雑誌で見開き2ページでインタビューを受けたり、
わずかだが、テレビにも出てた。
あの小さな記事を読んで、喜んでくれた母親に見せてあげたかったが残念ながら間に合わなかった。
>僕はレコード会社とバンドメンバーのお陰で、
「D」のデビューアルバムに、「亡き母に捧げる」と言うコメントをアルバム内に載せることを出来た。
一番最初のチャンスをくれた母親には感謝しても感謝しきれない。
自分が親になり、子供が何かしたいと言い出したら、
たとえ自分がその分野に知識が無かろうとも、自分の母親がしてくれたように、
最初のチャンスは与えてやりたいと思う。
そこから彼、もしくは彼女が自分の全ての時間やパッションを放り込める物を見つけれるのなら
それ以上に嬉しいことはないと、自分の経験から知ってるから。
投稿者 morty : 2004年12月08日 11:35