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2004年12月08日
第十四回 エッセイ 「契約そしてプロへ」
このエッセイは僕が音楽に打ち込んでた時代を題材にした物で一つ前に掲示板に書き込んだエッセイ「夢が現実に」の続編です。
全てノンフィクションで、過去に掲示板へ少しずつ書き込んでた
自身の音楽活動を題材にしたエッセイの総決算と言っても良いと思います。
一度も過去ログを一度も読んだ事無く、このエッセイを楽しまれた方は
是非掲示板過去ログに掲載されてる、
僕がここに来るまでの過程を書いたエッセイを読んで頂ければと思います。
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レコード会社に着くと、僕は以前と同じように、
受け付けで自分と担当者の名前を告げ、幾つかあったイスに腰掛け、
担当ディレクターの「N」を待っていました。
「数日前ここで、15歳の時から夢にまで見てた瞬間が起きたんだ、、、」。
最初にココを訪れた時とは違い、これから開く新しいドアの向こうを
楽しみにしてる僕がそこには居ました。
しばらく待ってると、担当ディレクターの「 N」が、
又も陽気に迎えてくれ、僕を前回と同じ会議室へ案内してくれ、
遅れること数分、制作課の部長、映画の監督、
そして主演俳優が部屋に入ってきました。
自己紹介と簡単な挨拶の後、監督と主演俳優の二人は、
「D」のデモテープに入ってた「FEEL(仮名)」という曲を
とても気に入ったということ、
それから現在制作してる映画がアクション映画で、
ハードな曲を探しており、ラストシーンに
ぴったりの曲だとも言ってくれ、僕も嬉しくなりました。
彼等はそのミーティングに一枚のCDを持ってきており、
「ちょっとこれを聞いて下さい」と、会議室に有ったステレオに、
そのCDをセットしました。
曲が始まってすぐ、監督が、
「映画で使うシーンの関係で、この曲と同じような入り方で、
「FEEL」をアレンジし直してもらえませんか?」と僕に聞いてきました。
「FEEL」の曲調を壊さず出来るアレンジだったので、
僕は「問題ないと思います」と彼等に伝え、
しばらく雑談をした後、これから「よろしくお願いします」と挨拶をし、
その場を後にしました
それからしばらくして、僕たちはレコード会社と正式に契約を交わし、
プロとして初めてのレコーディングに入りました。
メンバー全員、それまでやってたバイトを辞め、
夢にまで見た、プロミュージシャンとしての生活が始まったのです。
メンバー各々アマチュア時代に在籍してたバンドで
、何度もレコーディングは経験してましたが、
プロのレコーディングは想像を絶する厳しさで、
大変なレコーディングになりました。
「プロの世界はこんなにきびしいのか」、
「人の金でやるのはこんなに違うのか」と痛感しました。
最終日は24時間スタジオに監禁され、みんな昼なのか夜なのか、
お腹が減ってるのか、減ってないのかも判らなくなっていました。
しかしこのレコーディングをやった事により、
バンドが明らかに一回り成長したのを、のちにやったライブで感じました。
>怒濤のレコーディングを終え、
後は映画の公開を待つだけだったのですが、
ここで事件が起きました。
ある宗教団体が地下鉄に毒ガスを撒いたのです。
この事件が起きた朝8時半頃、
けたたましく鳴る電話の呼び出し音に僕は起こされました。
何カ所かの駅に毒ガスが撒かれたのですが、
その内の一つは、僕が利用してる駅だったので、
友達が僕の安否を気遣い電話してくれたのです。
この頃の僕は、もうバイトをしてなかったので、毎日昼頃まで寝てましたから、
もちろんその時間は電車には乗ってませんでしたし、
電話の向こうで友達が何を興奮してるのか、さっぱり判りませんでした。
「とりあえずテレビをつけろ!」と言われたので、テレビをつけたら、
100人以上の人が地下鉄の出口で、倒れてる映像が目に飛びこんで来ました。
この事件の事はここであえて説明しなくても、
皆さんご存じだと思うので、これ以上は触れません 。
この事件のあった数日後、レコード会社から電話が入り、
「今回の映画がピストルなどを連射するギャングもので、
人が死ぬシーンも沢山ある。この毒ガス事件のほとぼりがさめるまで、
映画会社が映画の公開を自粛する事にしたようだ」と言われました
デビューシングルのレコーディングも終わり、デビューの日取りも決まり、
後は発売を待つだけだったので、少しがっかりはしましたが、
悪いことばかりではありませんでした。
映画の公開が延長された事により生まれた時間を利用し、
レコード会社から、もう4曲レコーディングし、
シングルでは無く、5曲入りのマキシシングルでデビューしようと言うことになり、
数週間後、僕達は再びスタジオに入り、レコーディングを始めました。
この2回目のレコーディング中に僕は誕生日を迎え、
レコード会社がスタジオにバースデーケーキを用意してくれ、
バンドメンバー、エンジニア、プロデューサー、
レコード会社のディレクター「N」などに祝って貰い、
現在でも覚えてる数少ない誕生日の思い出の一つになりました。
2回目のレコーディングも終わった数ヶ月後、いよいよ映画の公開が決まり、
「D」のデビューアルバムの発売日も決まりました。
奇しくも同じ日にMR BIGの最新アルバムも発売される事になり、
同じレコード会社だった僕たちと一緒に、
渋谷のタワーレコードで合同イベントをする企画がレコード会社内で上がりました。
僕とエリックが仲が良いのを知ってた
レコード会社が企画したこのイベントに僕は困惑しました。
その当時のMR BIGは飛ぶ鳥をも落とす勢いで、
オリコンで1位を取るほどでしたので、
明らかにMR BIGに僕たちを便乗させてるようで、
MR BIGに迷惑なのではと思ったのです。
それから個人的な関係をビジネスに利用させることに関しても
前向きに受け入れることが出来ませんでした。
モヤモヤとした気持ちを抱えながら、毎日は慌ただしく過ぎて行きました。
連日レコード会社に通い、毎日4−5社のインタビューや
写真撮影などをこなしましたし、レコード会社のミィーティングにも顔を出し
「来月デビューする「D」です、よろしくお願いします」と挨拶もしました。
そして数週間後、最新アルバム「HEY MAN」の発売を数日後に控えた
MR BIGがプロモーションの為、日本へ来日しました。
僕はレコード会社でエリックと久しぶりの対面を果たし、
エリックは「デビューおめでとう!良かったね!」と
まるで自分の事のように喜んでくれました。
しかし
今回のプロモーションの一つに有ったタワーレコードでの合同イベントに
疑問を持ってた僕は、エリックにこの事を話さなければと思い、
機会を伺っていました。
数社のインタビューを終え、一段落したエリックとコーヒーを呑む機会が有り、
そこで僕は今回のイベントに関して、良い気持ちを持ってない事、
それからMR BIGに迷惑をかけてるようで申し訳ないとエリックに伝えました。
エリックは「正直に話してくれてありがとう。でもね気にする必要はないよ、
これは僕がやりたいんだから」と言ってくれたのです
日本武道館を5日間もソールドアウトに出来るバンドに居るのに、
アジアの小さな島で会った僕にここまで優しくしてくれる
エリックの人間としての大きさに感動し、
それと同時に僕も彼のような器のデカイ人間になりたい」と再度思いました。
そしてあっという間に、デビューの日の朝は訪れました。
投稿者 morty : 2004年12月08日 11:31