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2004年12月06日

第八回 エッセイ 「FRIENDS」

カリフォルニア州、オレンジカウンティー(ディズニーランドの近く)で
中学、高校時代を過ごした僕には、今尚、良き友人として付き合いの有る、
DAVE(ディブ)とJOEL(ジョール:多分日本ではジョエルと呼ぶと思いますが、
ジョールのほうが英語の発音に近いと思います。)が居ます

地元の高校(ESPERANZA HIGH SCHOOL:エスぺランザ ハイスクール、
95%が白人で、アジア人は3人位)に入学した時、僕はすでに母親から、
初めてのギターを買って貰っており、夢はローリングストーンズに入る事でした。

しかし、
ギター教室に通うお金なども無く、簡単なコードしか弾けなかった僕は、
同学年で少しでもギターを弾ける人を見つけると、話し掛け、教えて貰ったりしてました。

ある日のランチブレイクで、同級生に、「この辺でギターが一番上手いのはJOELだよ。
この前僕の兄貴が行ったパーティーで演奏してたらしいけど、凄いギター弾いてたらしいよ。
ほらあそこに居るのがJOELだよ」と指差された先に立ってたのは、
長いストレートな黒髪を腰まで伸ばした、ヒョロヒョロの男でした。

目は青、そしてタキシードを着て学校に来てるのかと思いきや、
長袖のティーシャツに、タキシードの絵が書いてあるだけ。
隣には「グレートフルデッドのジェリー・ガルシア」が二十歳の頃みたいな、
大迫力の男(DAVE)が居て、彼らの楽しく談笑する枠の中に、初(うぶ)な
中坊上がりがもぐり込めるような
セイフティーゾーンは設けてありませんでした!

少年仮面ライダー隊のメンバーがゲルショッカーの幹部クラスに

「よう元気か!」と声をかけるようなものです!

そんなある日の事、、、。
ED(エド)という同じくギターを弾く同級生と、
お互い取ってたクラシックギター教室
(必要な科目意外に、各自1つ好きな科目が取れるようになってて
、僕はクラシックギターを選択。その他の人気コースには
メカニックのコースなどがあった)で知り合い、
彼の口から「俺, JOEL知ってるよ、今度紹介してやるよ!」と 嬉しい限りのスピーチが!。


すかさずその日の放課後に彼の家に立ち寄り、彼のギターなどを見せてもらった後、
JOELの家に乗り込みました。JOELは恐ろしく無口でしたが、
ひとたびギターを持っと、今迄ラジオやレコードで僕が聞いてた曲を
簡単に弾いて見せてくれました。

僕が勇気を振り絞り「ギターを教えて貰えないか?」と聞くと
「教えるのは苦手だが、家に来て、俺の弾いてるのを見に来るのはかまわない」と言われ、
早速翌日から毎日通いました。

JOELも少しづつですが、心を許してくれ、話をしてくれたり、
参考になりそうなレコードを、僕にくれたりしました。

この当時の僕の小遣いが1ヶ月$20でしたから、このレコードは本当に嬉しかった。
JOELの家に通い始め、JOELの親友だったDAVEとも少しずつ仲良くなりました。

僕より年上だった二人は、すでに車を運転しており、あちこち連れて行ってくれました。
3人で適切なキャンプ用具も無いのに週末に砂漠へキャンプに行き、
餓死寸前で家に辿り着いたのもこの頃です。

高校を卒業後、僕は東京へ行き,音楽を続けてました。
ある日バイト先で音楽雑誌を見てると、
新しくオレンジカウンティーからデビューしたバンドの記事を見つけました。
そこにはバンドの写真もあり、JOELが写ってたのです!

これを見た時はびっくりしたし、何よりも嬉しかった!

皆が夏休みの間、ビーチで遊んでる間、自分の部屋で暗くなるまで、
彼がギターを練習してたのを知ってたからです。

当時はe-mailなどがなかった為、僕はJOELに手紙を書き、
その雑誌と日本版のCDを彼に送りました。

翌年僕はアメリカに一時帰国し、その時JOELにバンドを紹介して貰い、
数日後に行われたコンサートにも招待してもらいました。

JOELの成功をまじかで見て、嬉しい気持ちと同時に、自分も頑張るぞ!と思いました。
しかし、コンサート終了後DAVEとJOELに悲しい話しを聞かされました

バンドのボーカル(マイク)が病気で、医者から「もう手後れだ」と言われたらしいのです。
「体調の良い日と悪い日の落差が激しく、レコードを出したもの、ツアーがまったく行えない。
マネージメント(事務所)は別のシンガーをグループに入れ、ツアーを行うべきだというが、
「ここまで一緒に頑張ってきたマイクにそんな事は出来ない。
バンドで話し合い、マイクを最後迄バックアップする事にした」とJOELは僕に説明してくれました。

それから「ツアーが出来ないのなら、出来る事をと思い、
現在は次のアルバム用の曲を作ってる」と言い、
幾つかの新曲がレコーディングされたデモテープを僕にくれ、数週間後、
それを持ち、僕は日本に帰りました。

日本に帰り、数カ月後、マイクが亡くなったと聞かされました。

マイクには嫁と小さな子供が1人居ました。JOELとバンドのメンバーはミーティングをし、
レコードの印税が全部マイクの奥さんに入るように手配したそうです。

自分が10年近く見据えてきたゴールが目の前に来てるにも関わらず、
最後迄友人をファーストプライオリティーに置いたJOELを僕は尊敬してなりません。
彼と友人になれて本当に良かった。

彼にはギターを弾く事だけではく、もっと大きな事、
そして大事な事を学ばさせてもらえたから。

投稿者 morty : 2004年12月06日 12:31

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