「オヤジ」
11月29日の朝、妹から電話が有り、オヤジが亡くなったと知らされました。
オヤジは1年半程前から老人ホームで暮らしていました。29日の朝、カフェテリアに朝食を食べにこないのを不審に思った看護士さんが部屋を覗いた所、部屋の床で倒れて亡くなってたそうです。前日の夜はディナーを食べにカフェテリアに降りて来てるので、死因は自然死だと診断されました。
今月21日から久しぶりに嫁と息子を連れてカリフォルニアの実家で妹家族やオヤジと過ごす時間をとても楽しみにしてたのに、とても残念で成りません。このような事が起きたので、ココ数日はオヤジの事を考えたり、昔の事を振り返ったりしています。
オヤジは日系アメリカ人2世でカリフォルニア生まれ。13人兄弟の13番目です。オヤジが育った時代のアメリカは、戦争も有り、人種差別も厳しい時代で、オヤジを含め、家族全員アジア人として大変な時期を過ごしたようです。
当時、家族はレストランを経営してて、オヤジを含め、子供達は大きく成ると店を手伝わされました。時代背景、家族構成などを考えると次男坊のオヤジは僕の息子程母親に甘える事は出来なかったと思いますが、偉大な母(僕の祖母)の事は何度か聞かされましたし、小学生の頃に逢った記憶が僅かですが僕にも残っています。
戦争時、日系人は皆「収容キャンプ」に入れられたのですが、僕のオヤジも11才の頃、ネバダ州のキャンプに入れられていました。そのキャンプで車の運転を覚え、「トラックで氷を運んでた」と聞かされた事があります。
ダウンタウン・ロサンゼルスに有る「日系移民資料館」では当時キャンプに入れられてた日本人全員の名前のリストを見れるコンピューターが置いて有る。20年程前に二人で行った際、オヤジの名前を検索してみたら、いとも簡単に出て来たのを覚えています。
今にして思えば、今年の2月、ロサンゼルスへ仕事で行った際、その日系移民館すぐ近くのレストランでオヤジと食事したのが最後に成りました。
オヤジは僕が高校卒業後は大学へ通い、普通の会社に就職する事を望んでいました。その為、音楽の世界へ進む事を心に決めてた10代の頃の僕とオヤジの関係は決して良いものではありませんでした。カリフォルニアの高校を卒業し、東京へ行ってからは7年も逢わなかったし、その後も何かとオヤジの行動や意見が理解出来ず、長い間二人の関係は一定の距離を保つ事により維持出来てるような感じでした。
そんな関係が何年も続いたある日、妹とオヤジの事について話す機会が有り、(その席で当時僕はオヤジの事をぼろくそに言った記憶が有る)妹は「全部理解出来る。もっともだと思う。でもパパは誰よりも私達二人を愛してくれてる事は明確だから、それだけで十分じゃないかな、あのままで受け入れてあげようよ」。
この時初めて、妹が自分より大きな人間だと認識したし、妹の言う通りオヤジの考えは理解出来ない部分が多いが、常に全力で僕と妹と愛してるのは感じてた。この日を境に僕はオヤジの小言などに出来るだけ目をつむるように努力するように成りました。
オヤジが亡くなって、二つ程何度か聞かされた事を思いだした。
一つはオヤジは常々、「年を食ってから僕と妹に迷惑をかけたく無い」と言ってた事と、もう一つはオヤジの親友が定年退職直後、大好きだった趣味のゴルフのラウンド中に亡くなった際「わしもアイツみたいに死にたい。一番好きな事をやりながらポックリと死ぬのが理想だ」とも言ってた。
老人ホームでのオヤジは、入居してる他の老人同様、首から緊急ブザーをぶら下げてて、それを押せば、すぐに介護士が飛んで来るシステムでした。しかし、今回はそのブザーを押す間も無かったようで、心臓発作か何かであっという間に亡くなったみたいだと検死したロサンゼルス警察言われた。寝たきりに成り、子供達(僕と妹)に迷惑をかけたく無いと言う考えがしっかりと裏に有った「ぽっくり死にたい」というオヤジの希望は叶えらたような気がします。
オヤジは生前に遺書を書きあげ、土地、持ち株など全ての名義変更手続きも終わらせ、葬式代迄もを前払いし、どのように自分を葬って欲しいかも明確に葬儀屋にリクエストしていました。オヤジの死後、僕たちがすべき事が何もない程、オヤジは自分で自分の後始末を完全にやってからこの世を去ったのです。
オヤジは13人兄弟でしたが、決して兄弟の仲は良いものではなく、現在生きてる姉2名とも疎遠で、遺書には5年程前に亡くなった一番仲の良かった姉と一緒の墓に遺灰を入れて欲しいと書いてありました。墓はオヤジの生まれたフレスノ(ロサンゼルスから車で片道4時間)に有るので、12月に行った際、妹と行ってこようと思います。
オヤジが出た後の実家は現在妹がリフォーム中で、完成したら貸し出して、その収入をオヤジの月々の老人ホーム代に回す予定でした。しかし、オヤジが亡くなり、3月には妹家族はミズーリに引っ越すので、今後実家をどうするかは12月にカリフォルニアへ行った際に話し合うつもりです。
2年間闘病生活をし、「まだ生きたい」と願いながら亡くなった母親の時程の激しい感情の乱れはありませんが、オヤジの死はここしばらく考える事に成りそうです。全力で僕たちを愛してくれた事に感謝すると同時に、僕も同じように全力で息子を愛し、オヤジからの学んだ事を大事にしたい。沢山の愛をありがとう。I LOVE YOU