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2009年12月30日

「カリフォルニア滞在最終日」

南カリフォルニアには珍しく、今日は朝から一日中雨でした。

しかし、それでもココ迄の滞在で乾燥しきった指先はひび割れて痛く、夜はヒーターを一晩中入れてるせいか、朝起きた時などは喉が目一杯乾燥してる感じです。

今回の滞在で実家に置いて有るギター(計2本)のうち、最低一本はハワイへ持って帰ろうかと思ってたのですが、迷ったあげく、最終的には友人にギターを一本預け、妹にもう一本は持っていてもらう事にしました。

そんな訳で今日は友人宅へギターを届け、妹と寿司屋にランチを食べただけで後はずっと実家に居ました。

ハワイへ戻るは大晦日の午後9時前なのですが、急遽翌日(元旦)から5日間程ハワイ島での仕事が入ったので、元旦の朝5時半には自宅を出て、空港へ向かわねばいけません。

1月はその他にもロケがもう2本入ってるので、新年早々忙しく成りそうですが、2009年後半が余りにもスローだったので、嬉しい忙しさであります。

21日に来たので、今回は10日間の滞在。10日間もカリフォルニア滞在したのは、ココ10年間で最高の長さかもしれません。しかし、今度実家に来るときは実家を売る時だと思うので、それをふまえると有意義な滞在だったような気がします。

それでは次回はハワイから。2010年もよろしくお願いします。

HAPPY NEW YEAR!

2009年12月29日

「カリフォルニア滞在も残すところ後1日」

カリフォルニア滞在も残す所明日1日のみと成りました。

今日は午前中にロサンゼルスに居る嫁の仕事関係者を訪ねた後、近所のミニ・ゴルフ場で遊び、午後4時頃帰宅。

午後8時から嫁と妹と息子はインド料理を食べに出掛けたのですが、何だか疲れてた僕は家で犬達と留守番してました。

明日は近所に住む高校時代の友人を訪ねる以外は家でのんびり過ごす予定です。
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2009年12月28日

「ディズニー2009」

先ほどディズニーランドから帰って来ました。前日夜更かししたので、出発時間は予定より大幅に出遅れ、午前10時半に出発。

多少は混んでるだろうと覚悟はしてたのですが、ホリデー・シーズン真っ盛りの為か、もの凄い人の数で、フリーウェイを降りてから駐車場に車を停める迄1時間半。入り口でチケットを買うのに40分かかりました。

ようやく園内に入ったものの、ラッシュ・アワーを迎えた午後6時頃の新宿駅のような人出。最後にあんなに沢山の人が居る所に身を置いたのは、3年前に日本に帰った際、夕方に池袋駅近辺を歩いた時以来のような気がします。

園内に入って驚いたのは白人より、圧倒的にメキシコ人の家族が多かった事。あちこちからスペイン語が聞こえて来た。中学生の頃からこのディズニーに通ってますが、園内であれほどのメキシコ人を見たのは初めて。オレンジ・カウンティー内でのメキシコ人の人口が確実に増えてるのを実感した。

結局この日は午後7時前迄滞在したのですが、意外にも息子のテンションが低かったのが予想外でした。嫁曰く「ディズニーのキャラに対して興味が薄いからかも、、」との事。う〜〜ん、今一番のお気に入りはドランゴンボールだし、確かにそうかも。

午後8時過ぎに実家へ戻った時には息子は車の後部座席で撃沈。乗り物に乗る度に40分くらい並んだので、かなり疲れたのだと思いますが、午後11時現在もソファーで寝ており、たぶんこのまま朝迄寝るでしょう。

明日は嫁の用事を片付けるためロサンゼルスへ行く予定。

残り2日のカリフォルニア滞在を楽しみたいと思います
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2009年12月27日

「ゆるゆると年末を」

クリスマス翌日(26日)に従兄弟達は妹の旦那と共に旦那の実家テキサスへ。従兄弟(娘3人)が居なく成ってからは、4日間の騒々しさが嘘のように実家は静かです。

別れの朝、一人残される形の息子が寂しがるのではないかと思いましたが、意外とあっさりお別れが出来ました。

26日は家でダラダラと過ごし、今日(27日)はセール目当てに隣町のブレア(brea)にあるモールへ。

しかし、セールなのにそんなに安く無い、、、。取りあえず嫁が靴を一足買っただけで、モールを後にし、最近ハワイにもオープンしたターゲットへ移動。ここで息子が前々から欲しがってた野球帽などを購入してから帰路に着きました。

明日はいよいよディズニーランドへ乗り込みます。長い一日に成りそうですが、息子の楽しむ顔を見るのが楽しみです。

2009年12月24日

「納骨」

昨日はオヤジの遺灰を墓に入れ、最後のお別れをして来ました。

朝8時半に出発するつもりが、大幅に遅れ、午前10時の出発に成りましたが、随時時速120キロ以上で走行したせいか、到着予定の午後2時を20分程遅れただけでフレスノの霊園へ着きました。

最後に僕がこの霊園に来たのはたぶん中学生の頃。祖母(オヤジの母)の墓参りに来たのだと思うのですが、霊園の様子や回りの景色は鮮明に覚えていました。

霊園内にあるオヤジの家系の墓の上にはテントが立てられており、既にオヤジの遺灰を入れる為の穴が掘られてた。
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テントに近づくと、近くに居た霊園のスタッフが「ご準備が出来ましたら、いつでも声をかけてください」と言われた。

アメリカで納骨式に立ち会ったのがこの日初めてでしたが、神父が来た場合に備え、聖書を置く台や、椅子などが並べられてたものの、オヤジの遺言通り、この日は僕の家族と妹の家族だけだったので、遺灰と想い出の品々を用意された箱に入れると、霊園のスタッフが箱の蓋を接着し、穴に埋めてくれるという簡単なシステムでした。

箱の中には息子がオヤジに書いた手紙、オヤジが数年前迄買ってた犬(エイプリル)の首輪など、計7〜8点程想い出の品を入れたのですが、さすがにこの瞬間は色んな事が頭を過りました。オヤジの人生が終結した事を初めて鮮明に感じた。

家族のお別れが済むと、スタッフが馴れた手つきで箱を穴の中に入れ、砂をかけてくれた。まだ墓石は無いので、仮の墓石を設置し、納骨は終わりました。

霊園を後にし、再び4〜5時間のドライブでオレンジ・カウンティーを目指す。フレスノの町を抜ける迄僕たちを見送ってくれた綺麗なサンセットにオヤジの冥福を祈った。沢山の愛をありがとう。
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2009年12月22日

「明日はフレスノ」

実家滞在2日目。息子は朝から晩迄ずーーーーっと従兄弟達と遊んでいます。

ハワイでも友達と遊ぶ事はありますが、通常は長くても4時間程。朝から寝る直前迄遊べる事はないので、凄く楽しそう。

息子に「いっぱい遊べて良かったな」と声をかけたら、「おれ、カズン(従兄弟)が居て嬉しい!」と言われた。
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明日はオヤジとの最後の別れをする為、皆でフレスノ迄行きます。車1台では窮屈なので、2台で連なって行くのですが、オレンジ・カウンティーからフレスノ迄は片道4時間以上かかるし、途中越える山(予報では気温はマイナス2度!)では雪も降ってるようなので、結構しんどいドライブに成りそうです。

2009年12月21日

「カリフォルニア到着」

無事実家に着きました。息子は妹の娘達(計3名)とハイテンションで今も大騒ぎ。午前4時半に起床し、午前5時半に家を出て、ロサンゼルスまで5時間半のフライトでしたが、僕も思ってた程疲れておらず、久しぶりの家族の時間を楽しんでいます。

実家はリフォーム中って感じで、バスルームも1つ使えないし、リビングのカーペットも剥がされた状態で、当初僕が思ってた程は進行しておらず、まだ時間がかかりそうでしたが、良い感じで仕上がっており、完成が楽しみです。

実家に置いてたギターとも久しぶりに対面。レスポールをめったに弾かないので、凄く新鮮。
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妹と話したところ、やはり3月以降から実家を貸し出すみたいなので、現在実家に置いてる僕のギター2本を何とかしないといけません。しかし、一つ目の荷物からハンドリング・フィーを徴収される現在のエアラインのシステムでは2本とも持って帰ると$100は取られそう。fedexで送ったほうが安いかもしれません。

カリフォルニアの夜は寒く、現在の気温は10度。ハワイでは有り得ない寒さ。明日からにぎやかな毎日に成りそうです。

2009年12月19日

「GMCトラック購入記第35弾/ブレーキの不調」

ホノルル・マラソンの現場に入る前日(12月10日)、銀行へ行こうとトラックに乗り込み走り出したところ、ブレーキが効かん!!3回に一度はポンピングしないと手応えが無く、ペダルもスカスカでフロア迄落ちるのでUターンして家へ戻った。

家に帰り、早速ボンネットを開いて見るとブレーキ液が激減してる。半年前に見たときは満タンだった。ブレーキ液はそんな風に減るはずが無いので、何処かから漏れてる模様。すぐに修理工場にアポを取り、12月18日にようやく見てもらえました。

で、結果はブレーキのマスター・シリンダーからの漏れでした。思えば12月初旬に何度かポンピングしなければイケナイ場面があったが、その時から漏れが始まってたのかもしれません。今回は住宅街を走ってる時にブレーキの危機を見抜けたから良かったけど、もしフリーウェイに乗ってたらと思うとゾッとした。

料金は$208。思ってたより少し安かったので助かりました。
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「12/19」

ホノルル・マラソン翌日から別の現場に入ってたのですが、昨日で終わり、今日は8日ぶりの休みでした。

今回の仕事は今迄やった事がないポジションで有ると同時に、コレ迄にその現場で起きた問題をクリアする過程もアシストしており、最終日の昨日は、弁護士事務所へ行ったりと、通常のロケでは無い様な事をしていたのですが、終わってみれば沢山の「初」を経験出来た興味深い現場でした。

そんな訳で今日は9日ぶりにジムへ。久しぶりなのでかなりキツいと思ってたのですが、意外に体が動き、程よいワークアウトが出来ました。

明後日から大晦日迄カリフォルニアへ行くので、明日はのんびりと過ごしながら、息子と旅の準備でもしたいと思っています。

2009年12月15日

「12/15/2009」

ホノルル・マラソンの翌日から別の現場に出ています。

今回の現場は今迄やった事の無いポジションであると同時に、長期に渡る仕事なので、初日に現場入りをする迄は、自分が果たしてそのポジションを全う出来るのか、多少の不安がありましたが、去年現場を少し手伝った事と、自分の機材に関する知識が自分で思ってた以上にあるようで、今の所スムーズに進んでいます。

今日はアラモアナ沿いにあるナウルタワーの屋上を視察。
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明日は一日中打ち合わせです。

2009年12月14日

「ホノルル・マラソン2009/終了」

ホノルル・マラソンの現場を終えました。

今回は撮影ではなく、ブースの設営と運営を手伝ったのですが、連日の馴れない大工仕事で今は握力ゼロ。昨日は手のひらが痛くて中々寝れませんでした。

しかし、昨日はゴール地点のみでの仕事だったので、スタート地点を取材する時のように午前2時に起きる事は無く、午前6時半ゴール地点集合だったので、睡眠時間は普通に取れました。

写真は早朝カピオラニ公園の回りを抜けて行くランナーの群れ。まだスタートから1時間なので皆比較的元気でした。
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今日から別の現場の仕事なのですが、スタートが午後2時からと遅いので助かりました。まだまだ体中が痛いのですが、とりあえず頑張って来ます。

2009年12月12日

「ホノルル・マラソン2009」

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連日ホノルル・マラソン用の設営で夜迄大工仕事をやらされており、握力ゼロ状態です。

明日は本番。今回はゴールエリアなので、午前6時半と遅めのスタート。(スタートから2時間以内は誰もゴールしないから)

去年は最悪の天気だしたが、ココ迄は晴天で、明日も予報は晴れ。良いレースに成るのではないかと思っています。

2009年12月10日

「明日から仕事」

明日からホノルル・マラソンの現場に出ます。

日曜日のレース迄の主な仕事はテントやブースの設営。午後7時には暗くなるので、明日、明後日はそんなに遅く成らないと思いますが、レース日は午前3時頃に家を出ないといけないだろうから、ハードな現場に成りそうです。

マラソン終了後は別の仕事が14日から入ってるのですが、今日トラックのブレーキが利かなくなり、運転出来ない状態に成りました。すぐに修理のアポを取ったのですが、予約が取れたのが18日。嫁は仕事と息子の送迎で車が必要なので14日以降の移動に関しては何か対策を考えないといけません。

明日から仕事が続くのでしばらくはジムにも行けないだろうと思い今日はジムへ。いつもより時間をかけワークアウトしました。疲れてましたが、体力を全て使い切るのが快感へと変わりつつ有る今日この頃です。

それでは明日、明後日は肉体労働頑張って来ます。

2009年12月07日

「ジムへ」

今日はジムへ行きました。

すでに入会してから2ヶ月が経ちましたが、まだ肉眼で確認出来る様な肉体変化は見る事は出来ません。プロティンを飲む事により、通常の倍のスピードで肉体が変化するのではないかと思ってたのですが、そんなに過激に肉体は変化しないようです。

ココ最近はワークアウトのメニューも決まって来た感じが有るので、今日はあえてメニューを変えてワークアウトしてみたら、良い感じでジムでの1時間を過ごす事が出来ました。

毎回同じパターンでワークアウトしてると、事務的に成り、気のせいか(肉体にも)刺激が無い気がする。トレーナーさんに付けば色々変化を与えてくれるのだろうけど、そんな人を雇う金はないので自分で工夫せねばです。

今週末からホノルル・マラソンの仕事で、その後も別の仕事が有り18日迄仕事、21日からはカリフォルニアなので、年末迄後何度ジムへ通えるか判りませんが、出来るだけ通いジム溜めしたいと思っています。
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2009年12月02日

「オヤジ」

11月29日の朝、妹から電話が有り、オヤジが亡くなったと知らされました。

オヤジは1年半程前から老人ホームで暮らしていました。29日の朝、カフェテリアに朝食を食べにこないのを不審に思った看護士さんが部屋を覗いた所、部屋の床で倒れて亡くなってたそうです。前日の夜はディナーを食べにカフェテリアに降りて来てるので、死因は自然死だと診断されました。

今月21日から久しぶりに嫁と息子を連れてカリフォルニアの実家で妹家族やオヤジと過ごす時間をとても楽しみにしてたのに、とても残念で成りません。このような事が起きたので、ココ数日はオヤジの事を考えたり、昔の事を振り返ったりしています。

オヤジは日系アメリカ人2世でカリフォルニア生まれ。13人兄弟の13番目です。オヤジが育った時代のアメリカは、戦争も有り、人種差別も厳しい時代で、オヤジを含め、家族全員アジア人として大変な時期を過ごしたようです。

当時、家族はレストランを経営してて、オヤジを含め、子供達は大きく成ると店を手伝わされました。時代背景、家族構成などを考えると次男坊のオヤジは僕の息子程母親に甘える事は出来なかったと思いますが、偉大な母(僕の祖母)の事は何度か聞かされましたし、小学生の頃に逢った記憶が僅かですが僕にも残っています。

戦争時、日系人は皆「収容キャンプ」に入れられたのですが、僕のオヤジも11才の頃、ネバダ州のキャンプに入れられていました。そのキャンプで車の運転を覚え、「トラックで氷を運んでた」と聞かされた事があります。

ダウンタウン・ロサンゼルスに有る「日系移民資料館」では当時キャンプに入れられてた日本人全員の名前のリストを見れるコンピューターが置いて有る。20年程前に二人で行った際、オヤジの名前を検索してみたら、いとも簡単に出て来たのを覚えています。

今にして思えば、今年の2月、ロサンゼルスへ仕事で行った際、その日系移民館すぐ近くのレストランでオヤジと食事したのが最後に成りました。

オヤジは僕が高校卒業後は大学へ通い、普通の会社に就職する事を望んでいました。その為、音楽の世界へ進む事を心に決めてた10代の頃の僕とオヤジの関係は決して良いものではありませんでした。カリフォルニアの高校を卒業し、東京へ行ってからは7年も逢わなかったし、その後も何かとオヤジの行動や意見が理解出来ず、長い間二人の関係は一定の距離を保つ事により維持出来てるような感じでした。

そんな関係が何年も続いたある日、妹とオヤジの事について話す機会が有り、(その席で当時僕はオヤジの事をぼろくそに言った記憶が有る)妹は「全部理解出来る。もっともだと思う。でもパパは誰よりも私達二人を愛してくれてる事は明確だから、それだけで十分じゃないかな、あのままで受け入れてあげようよ」。

この時初めて、妹が自分より大きな人間だと認識したし、妹の言う通りオヤジの考えは理解出来ない部分が多いが、常に全力で僕と妹と愛してるのは感じてた。この日を境に僕はオヤジの小言などに出来るだけ目をつむるように努力するように成りました。

オヤジが亡くなって、二つ程何度か聞かされた事を思いだした。

一つはオヤジは常々、「年を食ってから僕と妹に迷惑をかけたく無い」と言ってた事と、もう一つはオヤジの親友が定年退職直後、大好きだった趣味のゴルフのラウンド中に亡くなった際「わしもアイツみたいに死にたい。一番好きな事をやりながらポックリと死ぬのが理想だ」とも言ってた。

老人ホームでのオヤジは、入居してる他の老人同様、首から緊急ブザーをぶら下げてて、それを押せば、すぐに介護士が飛んで来るシステムでした。しかし、今回はそのブザーを押す間も無かったようで、心臓発作か何かであっという間に亡くなったみたいだと検死したロサンゼルス警察言われた。寝たきりに成り、子供達(僕と妹)に迷惑をかけたく無いと言う考えがしっかりと裏に有った「ぽっくり死にたい」というオヤジの希望は叶えらたような気がします。

オヤジは生前に遺書を書きあげ、土地、持ち株など全ての名義変更手続きも終わらせ、葬式代迄もを前払いし、どのように自分を葬って欲しいかも明確に葬儀屋にリクエストしていました。オヤジの死後、僕たちがすべき事が何もない程、オヤジは自分で自分の後始末を完全にやってからこの世を去ったのです。

オヤジは13人兄弟でしたが、決して兄弟の仲は良いものではなく、現在生きてる姉2名とも疎遠で、遺書には5年程前に亡くなった一番仲の良かった姉と一緒の墓に遺灰を入れて欲しいと書いてありました。墓はオヤジの生まれたフレスノ(ロサンゼルスから車で片道4時間)に有るので、12月に行った際、妹と行ってこようと思います。

オヤジが出た後の実家は現在妹がリフォーム中で、完成したら貸し出して、その収入をオヤジの月々の老人ホーム代に回す予定でした。しかし、オヤジが亡くなり、3月には妹家族はミズーリに引っ越すので、今後実家をどうするかは12月にカリフォルニアへ行った際に話し合うつもりです。

2年間闘病生活をし、「まだ生きたい」と願いながら亡くなった母親の時程の激しい感情の乱れはありませんが、オヤジの死はここしばらく考える事に成りそうです。全力で僕たちを愛してくれた事に感謝すると同時に、僕も同じように全力で息子を愛し、オヤジからの学んだ事を大事にしたい。沢山の愛をありがとう。I LOVE YOU