「これから」
長くやってた対訳の仕事が今日ようやく終わりました。思えば7月前半から着手してたので、2週間以上かかった計算になります。
英語に直訳すると、言い回しが変だったりした部分は、映像に合わせて自ら原稿を作らなければ成らない所も多かったのが時間がかかった一番の原因なのですが、取りあえず満足のゆく物が作れ、今はホッとしています。
連日キーボードを叩いてたので、一日の終わりにはサイトを更新する余力など無く、サイトを閉めようか考えてると発言してから3回しか更新出来ませんでしたが、色々考え、今後はもう少しだけ続けてみようと思います。
当時の書き込みでも言いましたが、当サイトを止めようと思った一番の原因は「せっかく友人が無料でサーバーを貸してくれてるのに、やる気が無く、ダラダラやってるのなら、止めるか、何処かの無料ブログで十分じゃないか」と思ったからです。
今回の件で沢山の方からメールやコメントを頂けたのは嬉しかったし、「あんた見てたんですか?」という人も居て、嬉しい驚きも有った。
今後もう少し続けてみて、やってて本当につまらなく成ったら、その時にもう一度判断したいと思っていますが、せっかくなので今日はそんな我がサイトを7年以上もスポンサーしてくれてる非常に有りがたい友人の事を少し語らせて頂こうと思う。
カリフォルニアの高校を卒業し、一旦広島で生活してた母親の所に身を寄せてた僕は、本格的にミュージシャンを目指すため、半年後には東京へ引っ越した。東高円寺という場所にアパートを借りて、生まれて初めての一人暮らしを始めたのです。
東京へ引っ越して3か月が経ったある日の午前1時過ぎ、、、
僕のアパートのドアをノックする音が。
当時まだ東京に一人も知り合いが居なかった僕は一瞬耳を疑ったが、しばらくすると、又ノックが、、、。
恐る恐るドアを開けると、そこには半年間の広島生活で知り合った同じくプロ・ミュージシャンを目指してた友人(のちに当サイトのメイン・スポンサーに成る男)がベース・ギターに小さなバックパック一つ背負って立ってた。
当時、金の無かった友人は、何と広島から長距離トラックを何台もヒッチハイクで乗り継ぎ、東京迄やってた来たのだ。
そんな訳でその日から二人の生活がスタートしたのだが、その後、彼は音楽の世界から去り、実業家への道を進んだ。ベースギターに着替え2着のみで東京へ来たその男は持ち前のハングリー精神で、会社を経営する所まで上り詰め、世で言う安定した生活を手に入れたのです。
それからさらに17年後の1999年。音楽業界で残りの人生を過ごすべきか、別の人生を探すべきか考えてた僕と同時期、友人も長年積もった仕事への情熱の内容低下を一掃するべく、完全に軌道に乗ってた会社をたたみ、新しいチャレンジに踏み出した。
友人は新しいビジネスの為の下見と準備を兼ねてアメリカへ。偶然にも同じ時期、南カリフォルニアの実家に滞在してた僕も通訳として彼に同行する事に成った。そこでの下見とミーティングで、ビジネスの手応えを感じた彼は、持ってた物全てを新会社に次つぎ込み、10年後の今、会社を軌道に乗せ、再び安定した生活を手に入れたのです。
同じ10年前に一からのスタート切った僕との差に、自分の技量をむなしく痛感する反面、友人の人生を切り開くパワーにはいつも感化されます。この場を借りて「いつもありがとう」と言いたい。
当サイト、リンク部分の一番下にひっそりと張られてるのがその彼の会社で、スケートボードの販売をしています。絶対に安心して勧められる会社なので、スケートボードの購入などを考えてる方は是非どうぞ。mortyhawaiiの紹介です!と言えば、何かオマケでもくれるかも、、、。