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「ミス・カリフォルニア2009」

今年のミスU.S.A候補だったミス・カリフォルニアのキャリー・プリジーンさんがミス・カリフォルニアのタイトルを剥奪されました。

キャリーさんは今年4月に行われたミスU.S.Aを決める最終選考会の質問コーナーで、ホモセクシャルである男性審査員に「同性愛の結婚についてどう思うか?」と質問され「アメリカは自由の国で有り、誰でも選択の自由を持つ事が出来る。しかし、私は結婚は異性間で行うべきだと思います」とコメントした。

このコメントが火種と成り、その後、彼女が17歳の頃に撮ったセミヌード写真、そしてミス・カリフォルニアに応募した1年前に撮ったトップレスの写真がネット上に流失し、キャリーさんは渦中の人と成ったのですが、質問された事に関し、自分の思う事を言っただけで、何故これだけの騒ぎに成ったのか、僕はまったく理解出来ませんでした。

ところが、色んな記事を読み進んで行くうちに、ミスU.S.Aに相応しい人というのはあらゆる物事を大きな尺度で判断出来、個人の意見や見解よりは、世論を意識した発言と行動が出来る人が適任であると判断されてるようで、ミスU.S.Aコンテストは個性と容姿のぶつかり合いの場だと思ってた僕は、この事実に驚いた反面、コンテストの主旨を大げさに言い換えれば「綺麗で優等生な振りが出来る人を選出する物」で有り、タイトルを保持してる間は個人の意見は二の次で有り、タイトルに伴う行動と発言に責任を持てない人はタイトルを維持するに相応しく無いのだと捉えました。

キャリーさんは、問題と成った発言をした直後、ニュース番組の出演し「私はクリスチャンで有り、結婚とは異性間で行う物だと教えられて育った。今回の一件で様々な事を言われましたが、今でも私の考えは変わらず、結婚は異性間で行うべき物だと信じてるいます」と発言した所を見ると、コンテスト主催者の歌うミスU.S.Aとしての「志」をふまえて応募したのでは無いのは瞭然。

アメリカではココ数年、同性愛者の結婚を認めるか認めないかが激しく議論されており、実際に幾つかの州では同性愛者同士の結婚を認める判決が出され、それらの州では同性愛者同士が結婚する事が可能なのです。

同性愛者では無い僕は、当初何故、同性愛者が結婚にこだわるのか判らなかったのですが、結婚出来る事により法的に家族と見なされ、通常の家族が行うように財産、クレジット・カード、医療保険などの共有と共に、カップルのどちらかのみが働いてる場合は扶養家族としての税金の申告も出来るようになるらしく、結婚と言う行為そのものに対してのこだわりもあるが、それ以外の結婚する事により得る事が出来る様々な特権が、同性愛者が強く結婚を願う裏に有るらしい。

既に幾つかの州で同性間の結婚が認められてるアメリカですが、先日ある番組に実際に結婚した女性同士のカップルが出ており、彼女達の生活ぶりが放送された。画面を直視出来なく成ったのは彼女達が養女として迎え入れた少女が画面に出た時。

女性カップルは「子供が欲しかったから養女を取った。家族の関係はとても上手く行ってる」と笑顔でカメラにコメントしてたが、物心ついたその少女が、親が同性愛者で有る事を受け入れる事が出来るのか、、。又、判りやすい題材である同性愛は子供同士のイジメの対象に成らないか?自分の子供を同じ立場に置いて考えるとかなり息苦しく成った。子供が消化するには余りにも大き過ぎる題材で有る事は明確過ぎるからだ。

キャリーさんがタイトルを剥奪されたのは、彼女の問題発言が原因では無く、その後の公式行事を無断で欠席したからとの事ですが、問題のコアと成った「同性愛同士の結婚への解釈」を問いただした人は芸能界のゴシップを連日自身のブログサイトにアップロードしてる人で、強いて言うなら芸能評論家。こんな人を審査員に置いたコンテスト側にも学ぶ事が有るのではないか思う。

華々しいミスU.S.Aコンテストも所詮「宣伝=金」という基盤が根底にあるからこんな事が起きるのだろうが、クリエイティブな者より、当たり障りの無い者を見て喜ぶ世の中はつまらなく成るだけのような気がします。

追記:(6/11)キャリーさんは本選前に豊胸手術を受け、それらの費用はミス・カリフォルニア選考会本部が支払った事が判明。ミス・カリフォルニア選考会代表者のコメントは「ミスU.S.A.では豊胸手術を受けてる女性は多いし、現代ではごくカジュアルに行われてる事かので、問題は無い」とコメントした。ミスU.S.A.コンテストはその女性の本来の「美」を判断するじゃないんかい!!

コメント

家族でなくても家族以上のつながりを持つ人たち、家族でも愛情がなくなった人たち、さまざまだよね。
また、周知の事実でも公言すると大問題になったり、立場上絶対にとらなければならないスタンスがあったり。
人と人のつながりの中で生きていくには、不思議な制約があるね。。。
20代くらいの頃は、「俺は好きなように生きる!!!」って思ってた(-_-;)

nobu
ワシなんて、未だに好きなように生きてる感があったけど、年を食ったせいか、アメリカに住んでるせいか判らないけど、知らない間に発言前には、発言内容を整理してたりするような気がするよ。

過去のミスから学んだのか、守りに入って来たのか判らないけど、20年前の自分とは少しは変わったんだろうね〜。

僭越ながら、変わりますよね!

顔色、雰囲気、関係値、僕らはたいがい金を稼ぐために社会の人達と関わっているわけで、悲しいかな自分の思いを正直に発言出来るか、否かを計って生きているのだと思います。しかたないよね!

遅ればせながら、MORTY兄~!
Happy Birthday

Rockに生きてね!パパ


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大人として社会でファンクションするという事は最低限その場しのぎの事が言えたり、対応が出来るって事なのかもね〜。自分はそんな事とは一生無縁で生きて行くと信じてたけど、大人に成ったからか、親になったからか判らないけど、少しずつだけど変化(進歩)してるのかのぉ〜

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