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「日系アメリカ人の歴史」

取材の為、ワイパフにある「プランテーション・ビレッジ」に行って来ました。

以前、入り口まで来た事は有りましたが、ガイドを付けて貰い、中を案内されたのは今回が初めて。

最初に当時の写真などを見せられ、その後は当時のプランテーション(住宅地)再現したエリアを歩きながらガイドさんの説明を受けるのですが、これが実に興味深かった!

1885年、ハワイへ(アメリカへ)夢と希望を胸に、2ヶ月の航海を経て辿り着いた日本人に突きつけられたのは奴隷のような生活でした。朝4時半に起き、午後4時半まで一日10時間、炎天下の中、サトウキビ畑で働く重労働だったのです。

最初に移民としてハワイへ送られたのは体力の有る若い男達がほとんど。連日の重労働の上に、さらに禁欲までさせるのは、腹ぺこの猿に「目の前のバナナを食うな!」、もしくはのび太に「ドラえもんにいちいち助けを求めるんじゃねーよっ」と命令するようなもの。

当然この問題は深刻な嫁不足問題へ発展し、「PICTURE BRIDE/ピクチャー・ブライド」というシステムが生まれるのだが、写真一枚を持ち、結婚相手に会う為2ヶ月の航海を経た女性が目の当たりにした事実は余りにも悲しく、更なる悲劇の導火線に引火する事に成った。

「ピクチャー・ブライド」は当時アメリカの法律で家族のみしかアメリカへの入国が許されなかった為、(今のようにお気楽でご機嫌な観光ビザが無かった)写真一枚で結婚相手を決め、事前に日本で籍を入れ、家族に成ってからハワイに嫁いで来た若い女性達の事なのですが、45歳の男性が嫁欲しさに25歳の時の写真を送ってたりと、現在のネット上ではびこる「出会いサイト」以上の惨劇がそこには有ったのです。

27.jpg写真は「プランテーション・ビレッジ」に残されてた当時の労働契約書。片側は英語、片側は日本語で(同じ内容が)書かれており、契約者の白黒写真も貼ってある。

過酷な労働を終えた契約終了後、日本へ帰ろうにも、安い賃金故、貯金なども無く、帰る事が出来なかった殆どの日本人がそのままハワイへ残り、現在のハワイの日系人社会を築いて行ったのです。

日本が真珠湾を攻撃した後に結成されたアメリカ軍の442部隊(日系アメリカ人のみで結成された部隊でアメリカ軍至上最高の死亡率を記録した)は日系アメリカ人が自分たちはアメリカ人だという事を証明するため、命をかけて戦った部隊。彼らは自分たちの命と引き換えに日系の誇りを次世代へと繋げたのです。

何度もハワイを訪れてるのに、ハワイと日本人の古い関係を知らない人は多いと思う。自分も日系アメリカ人じゃなかったら興味すら持たなかっただろう。ワイキキでワイワイ、キッキと騒ぐのも良いが、今回プランテーション・ビレッジを訪れて、ハワイと日本人の古くから有る関係にも是非興味を示して貰えればと思いました。

コメント

ああ、もう本当にその通り!
観光もいいけれど、旅立つときにはその地の基本的な成り立ちを、まず知るべきだと、先日沖縄に行き様々な戦争跡を訊ねつくづく感じました。
沖縄も、「大和(日本)」との関係で生活が苦しくなり、ハワイ移民がすごく多かった。
いろいろなことを思います。
「アメリカが。。。日本が。。。」とかではなく、時代によって苦しい思いをした人達のことを。。。


chiko
プランテーション・ビレッジでも沖縄からの移民の説明を受けたのだが、当時、沖縄の人は本土の人からかなり見下されており、プランテーションでも差別などを受けてたらしい。

沖縄の人が住んでた家を再現した物を見せて貰ったんだけど、そのうちの中には天皇陛下の家族写真がリビングの壁にかかってた。「自分たちも立派な日本人だ」という事を示す意味も有ったらしいと聞かされたよ。沖縄の人達は戦争時代を含め、本土の人達以上に辛い思いをして来たみたいだね。

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