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2007年10月31日

「ライダーマン」

夜9時頃に成ると、眠いくせに、寝室へ行くのをぐずる息子を寝床へ誘う為に、我が家では「YOU TUBE」にアップロードされてる日本のアニメやヒーロー物を寝る前の少しだけベッドの中で見せるように成りました。

子供とはいえ、やはり「野郎」。こういう変身ヒーロー物には本能で反応するらしく、すぐに熱狂的なライダー&レンジャー信者に変貌。とうぜん次は「仮面ライダーやゲキレンジャーの人形が欲しい〜」とリクエストしてきた。

ハワイにそんなもの売ってる所なんて無いよ〜っ、なんて思ってたけど、もしかして!と訪れたカイムキの「TOYS AND JOY」に有りました。

仮面ラーダーからウルトラマンまで何でも有りで、店内はまるで日本のおもちゃ屋さん。うちの息子はここで仮面ライダー1号と赤いゲキレンジャーを即買い。それ以来、肌身離さず携帯しています。

そんで昨日、例のごとく息子と二人、ベッドに寝転がりながらでYOU TUBEを見ていたのだが、ブックマークしてたエピソードに飽きたみたいだったので、あれこれ検索してみると、5人の仮面ライダーが勢揃いするエピソードを発見。

5人も揃うと凄いね〜、まるで誕生日とクリスマスと正月が一度に来たような感じだよ〜っ、と、最初は親父である自分も見入ってたのだが、怪獣を退治し、事件が一段落した時、「オヤッさん(立花藤兵衛/たちばな・とうべい)の元に久しぶりに5人のライダーが集まり、それぞれがどこからやって来たかを説明するのだが、「パリから来ました!」「ニューヨークから駆けつけました!」などと誇らしげに語る歴代仮面ライダーにまみれて、異色の仮面ライダーである「ライダーマン」の口から出た言葉にワシは絶句した。

ライダーマンは「俺はタヒチから駆けつけました!」と言い放ったのだ!

なんでお前一人だけ「南国」から来てんねん!!

そんな所にライダーがおらんと解決出来ん事件がしょっちゅう有るんかい?

子供も見てんだぞ!嘘でも言いからイラクから来ましたとでも言えんのか?

ほんまは仕事せず、のんびり過ごしてたんじゃないの??

それからな、一つ聞かしてもらうが、タヒチに居たのなら、京都の舞子みたいなお前のモチモチした白肌はなんやねん!

ワシですらな、日本に住んでた時は今より3段階は肌が白かった。ハワイでサーフィンやゴルフをしないワシがだぞ!

タヒチに住んでたのなら嫌でも黒く成るはず。

なー、ライダーマン。

どうせ嘘つくなら、もっとええ嘘つこうや。

お前も一応世界にその名を残したライダー・ファミリーの一員やないかい。

ほんまは都内で遊んでたちゃうんかい!

「わしライダーやで」って連日「合コン」に出てたんちゃうんかい?!!

ここまで言うたんやか、最後にもう一つ言わしてもらうで。

経緯は忘れたが、お前は何らの理由で右腕にダメージを負い、ライダーに成る時にその右腕を改造され、カセット・アームという色んな用途に使える武器を手に入れたが、わしが見た5人ライダー勢揃い編ではそのアタッチメントを左手に装着しとるんは何でじゃい!!

わしの息子はなあ、もうすぐ3歳だけど、凄く鋭いんじゃい!!

「ダジー、なんでライダーマンは毎回違う腕にアタッチメントを付けてんの?」なんて聞かれた日にゃ、ワシはなんちゅーて答えたらええねん!

ちょっとは保護者の事も考えてくれよーーーーぅ!

(写真はそんな親の気持ちをよそに、お気に入りの毛布に包まり、ライダーに熱中する熟眠20分前の息子)
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2007年10月28日

「ワシが相手じゃ〜」

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2007年10月27日

「原稿、洗車、コンロ」

休みなのに何だかやる事が多いこの頃です。

一番苦戦してるのは日立のサイト用の原稿で、ネタ探しが思ったより大変で連日何か無いか模索してるものの、何も思い当たらない。時期的にハワイで(オアフ島で)イベントが少ないのも、その理由の一つなのですが、このブログで日々書き綴ってるような雑文では使い物に成らず、日立のスタンダード・ラインをクリアしつつ、ハワイならではの面白いネタを探すのは想像してた以上に頭を使います。

しかし、これらは全て良い経験とチャレンジで有り、今後の自分に必ずプラスに成ると確信してるので、普段あまり使わない脳みそをフル回転でさせています。

先週、他にした事と言えば、先ずは車の洗車。僕の住んでるアパートの駐車場で2週間程前に「フリフリ・チキン/チキンを丸ごと串に差し、焼き上げる豪快ロコ料理)」の調理と販売が行われたのだが、その際使用された大型グリル(一度に30羽程焼いてた)の風下に僕の車が有り、大量の油がこびりついた!

いつもは自力で車を洗うのですが、中華料理屋の厨房に1週間置き去りにされたような状態に成ってた自分の車はもはや手洗いではどうにも成らず、近所の洗車場へ。

ここへ最後に来たのは随分前だが、昔来た時よりはサービスが丁寧に成ってたのには好感度アップ。

50carwash004.JPGサイド・ミラーをたたみ、ドライバーは車に乗ったまま洗車機に入って行くシステムなのだが、洗車機の中はもの凄い水圧で、車の屋根が破られるのでは無いかと思った程の破壊力。当然こってりチキン・オイルも全て洗い流され、車は綺麗に成った。

金曜日には歯医者さんへ行き、小さな虫歯2本を直してもらった。歯医者さんに「小さい虫歯なので麻酔は無しで行きますね〜」と言われたときは一抹の不安が過ったが、ちょこっと痛いかっただけで、治療は終わった。

治療が終わった後、先生と少し立ち話したのだが、なんとその先生と僕は実に似たような人生を歩んでた事が判明した。「ここまで自分と似た環境で育った人はこれまで会った事が無い」と先生も言ってたが、アメリカ本土で育つのと、ハワイで育つのでは全然違う。僕ら共には十代までをアメリカ本土で過ごし、その後、大人になる過程を日本で過ごした。同じような経験をした人間と巡り会えたのは実に興味深かった。

最後に我が家で起きた大きな事件。それはコンロ爆発事件です。嫁がお湯を湧かそうと水を入れた鍋をコンロにかけてたら、3分後、コンロのバーナー(我が家は電気コンロで、蚊取り線香の形をしたコイルが熱せられるタイプ)が爆発し、鉄製の鍋に弾丸が貫通したような穴を開けたのだ。

この時僕は別の部屋に居て、嫁の悲鳴で台所に行ったのだが、幸い爆破で飛んだ破片は嫁にも息子に当たらず大惨事には至らなかった。すぐに管理人に電話し、修理をお願いしたのだが、壊れたバーナー以外の残りのバーナース全て古く、この際全部(計4個)を交換する事に成り、今日電気屋さんが来てくれ、修理してもらった。

5ovenrepair0003.JPGハワイではガズ・コンロより電気コンロのほうが圧倒的に多い。修理に来た人に「電気コンロのバーナーが壊れるときはいつもこのような壊れ方をする」と聞かされ、少し怖く成った。取りあえず今日全部変えたので、しばらくは大丈夫だろうし、今回変えたバーナーが古く成る前に我が家も引っ越すだろうし。

まだまだ色々やらないといけない雑務が有る。次回の仕事が11/1からなので、その前にそれらを終わらせ、同時に原稿も書き上げたいと思っています。

2007年10月26日

「白鳩」

昨日は急遽、雑誌の撮影をお手伝いする事に成った。

朝8時に集合し、まずはアラワイ・マリーナでヨットをバックに撮影。衣装を変え、計3カットを撮った後は、ロイヤル・ハワイアン・ホテルのマイタイ・バーへ。

5brunch002.JPGマイタイ・バーでは時折雨に降られましたが、順調に撮影は進み、撮影終了後は、マイタイ・バーでブランチ・タイム。

午後からは生まれ変わった「BEACH WALK/ビーチ・ウォーク」で撮影。ここでの撮影は午後3時迄行い、一旦ホテルへ戻り、着替えとメイクをし、午後5時からはサンセット・バックの撮影を行うため、クヒオ・ビーチへ移動。

ロケ地に着き、機材のセッティングが終わったものの、まだ陽が高かったので、しばらく休憩してたら、一羽の白鳩が僕の3メートル前に着陸。

白鳩は着地すると、座り込み、

寝るのか?

と思ったら、ぐにゃりと斜めに体を倒しに、急に地面を痙攣してるように猛烈につつき始め、そのまま動かなく成った。

1分後、依然鳩は動かない、、、

5分後、まったく動かない。

恐る恐る近づいてみると、

し、、、し、、、死んでる!!!

鳩って死ぬ10秒前迄空を飛んでるのか?!

迷信 などは信じない僕だか、さすがに幸せを呼ぶ白い鳩が他界するのを目の前で見るのは不気味な感じがした。

ハワイは鳩がに多く、住んでれば当然死んでるのも時々見かける。しかし、目の前でその最後を見たのは初めて。

その後、雲は多かったもの、無事撮影は終了し、帰路に着いたのだが、鳩の年齢は素人が見ても判らないので、僕の目の前で死んだ鳩が老人なのかも判らないが、小さな命が燃え尽きるのを見て、何やら考えさせられる一日の終わりに成りました。

2007年10月24日

「日系アメリカ人の歴史」

取材の為、ワイパフにある「プランテーション・ビレッジ」に行って来ました。

以前、入り口まで来た事は有りましたが、ガイドを付けて貰い、中を案内されたのは今回が初めて。

最初に当時の写真などを見せられ、その後は当時のプランテーション(住宅地)再現したエリアを歩きながらガイドさんの説明を受けるのですが、これが実に興味深かった!

1885年、ハワイへ(アメリカへ)夢と希望を胸に、2ヶ月の航海を経て辿り着いた日本人に突きつけられたのは奴隷のような生活でした。朝4時半に起き、午後4時半まで一日10時間、炎天下の中、サトウキビ畑で働く重労働だったのです。

最初に移民としてハワイへ送られたのは体力の有る若い男達がほとんど。連日の重労働の上に、さらに禁欲までさせるのは、腹ぺこの猿に「目の前のバナナを食うな!」、もしくはのび太に「ドラえもんにいちいち助けを求めるんじゃねーよっ」と命令するようなもの。

当然この問題は深刻な嫁不足問題へ発展し、「PICTURE BRIDE/ピクチャー・ブライド」というシステムが生まれるのだが、写真一枚を持ち、結婚相手に会う為2ヶ月の航海を経た女性が目の当たりにした事実は余りにも悲しく、更なる悲劇の導火線に引火する事に成った。

「ピクチャー・ブライド」は当時アメリカの法律で家族のみしかアメリカへの入国が許されなかった為、(今のようにお気楽でご機嫌な観光ビザが無かった)写真一枚で結婚相手を決め、事前に日本で籍を入れ、家族に成ってからハワイに嫁いで来た若い女性達の事なのですが、45歳の男性が嫁欲しさに25歳の時の写真を送ってたりと、現在のネット上ではびこる「出会いサイト」以上の惨劇がそこには有ったのです。

27.jpg写真は「プランテーション・ビレッジ」に残されてた当時の労働契約書。片側は英語、片側は日本語で(同じ内容が)書かれており、契約者の白黒写真も貼ってある。

過酷な労働を終えた契約終了後、日本へ帰ろうにも、安い賃金故、貯金なども無く、帰る事が出来なかった殆どの日本人がそのままハワイへ残り、現在のハワイの日系人社会を築いて行ったのです。

日本が真珠湾を攻撃した後に結成されたアメリカ軍の442部隊(日系アメリカ人のみで結成された部隊でアメリカ軍至上最高の死亡率を記録した)は日系アメリカ人が自分たちはアメリカ人だという事を証明するため、命をかけて戦った部隊。彼らは自分たちの命と引き換えに日系の誇りを次世代へと繋げたのです。

何度もハワイを訪れてるのに、ハワイと日本人の古い関係を知らない人は多いと思う。自分も日系アメリカ人じゃなかったら興味すら持たなかっただろう。ワイキキでワイワイ、キッキと騒ぐのも良いが、今回プランテーション・ビレッジを訪れて、ハワイと日本人の古くから有る関係にも是非興味を示して貰えればと思いました。

2007年10月21日

「ハロウィン」

59845.jpg今日、近所で子供達の為のハロウィン・パーティーが開催された。

先月僕が仕事でロサンゼルスに行った際に購入したスパーダーマンのコスチュームを着込み、まもなく3歳に成る僕の息子も張り切って参加したのですが、予想通り今年はスパーダーマンが一番人気で会場には総勢5名のスパーダーマンが集合し大騒ぎ!

子供の頃、僕もハロウィンには仮装して近所の家を回り、飴やお菓子などを貰って歩いた記憶がある。しかし、一番記憶に残ってるのは仮装した事よりも、家に帰ってから親父が貰って来た飴やお菓子を一つ一つ点検してた事。

当時、リンゴの中にカミソリを入れたり、飴に毒などを塗り、子供に危害を加える事件が起きてたからなのだが、親父は果物そして開封可能な飴(チュッパ・チャツプスなど)は全て捨て、密封された安全な物だけを僕と妹に渡してた記憶がある。

子供からしてみればハロウィンは大好きなキャラクターに仮装出来、お菓子などを貰える楽しみも有るが、自分が親に成った今は、仮装し、友達と楽しそうに遊ぶ息子の姿を見るのが嬉しい。来年も是非参加したいと思います。

2007年10月20日

「本部どうぞ本部、、、、着陸失敗です、、、」

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2007年10月19日

「風邪とクリーニング」

2日前から熱をだした息子の熱が依然下がりません。明日は近所で子供達のハロウィン・パーティーが有り、先月僕がロサンゼルスに行った時に実家近くのスーパーで買ったスパイダーマンのコスチュームを着せてあげたいのですが、明日の朝も具合が悪そうなら欠席せざる得ない感じです。

風邪などから来る子供の熱に飲ませる薬は、熱を下げる効果は有ってもウィルスを殺す力は無く、子供自身が体内に免疫力を作り、自分で風邪菌を克服するしかないのですが、我が家では熱が39度以上になると「タイレノール」という薬を飲ませています。

しかし、今日6時のニュースでタイレノールがリコールされたと放送された。すぐに販売元のジョンソン&ジョンソンのウェブサイトを見に行ったら、「適量以上を与えられた2歳未満の子供が50年間の間に60人程亡くなったらしく、2歳以下の子供には飲ませないでください」と書いてあった。

wolf01.JPG僕の息子はまもなく3歳だけど、2歳の頃からこの薬を飲んでる。嫁が与える量には凄く神経を使ってるので、大丈夫だったのかもしれないが、恐ろしい事実です。写真はお気に入りの椅子にお気に入りの毛布をかけテレビを鑑賞中の息子(風邪全開モード)。

その他には今日、歯医者さんで歯のクリーニングをしてもらった。クリーニングを最後にしてもらったのは何時かも思い出せんが、凄く綺麗に成り大満足。歯医者さんには、小さな虫歯が有りますので、それは来週治療しましょう。しかし、歯や歯茎の状態は良いです」と言われホッとした。

年内の仕事も少しずつ決まり始め、気分的には楽に成った。時間があるうちに原稿書き用のネタ探しをしたいと思っています。

2007年10月18日

「DVD撮影終了」

10月15日から請け負ってたグラビア・アイドルのDVD撮影が今日終わりました。

沢山のコーディネーターが雇用されるコマーシャル撮影の現場とは違い、出演者、スタッフ合わせて7名という小さなクルーだったので、ロケハンから撮影迄、全て自分一人でこなしたのですが、撮影中は天気にも恵まれ、大きな問題も無く全日程をこなす事が出来た。

大きな現場では自分が管轄してるグループ(技術回り、メイク回り、美術回りなど)以外の人とあまりコミュニケーションを取れないのですが(取る時間が無い)、今回は小さなグループ故、出演者、そしてスタッフ全員と少しずつですが話したりする時間も取れ、そういう部分では大きな現場より充実してたような気がします。

この撮影と平行して日立用の原稿なども書いたりしてたので、少し忙しかった感がありますが、全てを卒なくこなす事が出来、今後の自信にも繋がった。これからしばらくは休みなのですが、この間に次の原稿書きなどをやろうと思っています。

その他あった事と言えば、8月に手の甲に入れた入れ墨が荒れて凄い事に成ってる。色々自分で研究したら乾燥防止に塗ってたハンドクリームが合わないみたいで、これを塗るのを止めたら少し落ち着いた。

昨日迄の撮影で一緒だったモデルさんのマネージャーさんも足に入れ墨を入れており、彼にも相談したら、「1年位は落ち着かなかった」と聞かされた。まだまだ長いケアに成りそうだけど、気長に付き合って行こうと思います。

それから、昨日の深夜、息子が高熱を出した。現在も薬を飲ませれば下がるが、熱は上がったり下がったりの繰り返し。僕が仕事中だった為、昨日の夜は嫁が寝ずに看病したので、今日は僕が息子の面倒をみようと思っています。

2007年10月12日

「今週は、、、」

う〜〜〜〜〜ん、なんだかドタバタとした1週間だった。

10月15日から始まるロケの仕込みに一番時間を取られたのだが、少ない予算内で制作サイドの希望に近いロケを組むのに脳みそをフル回転させた一週間だったような気がする。

そんな中、奥歯の治療と車の修理も有りました。奥歯は一部が欠けたので、新しくセラミックを被せて貰った。ハワイへ来て歯医者に行ったのは初めてだったが、先生が凄く上手く、治療はたった一回の診察で終わった。

車のほうはブレーキの油圧系の故障で、修理代に$740も取られたが、消耗品なのでしょうがあるまい。

次回の日立用原稿の締め切りが10月18日なのですが、ロケに入ると何も出来ないと思うので、明日は一日原稿書きに没頭し、日曜日は休みたいと思っています。

2007年10月07日

「モロカイ・ホエ」

現在午後11時。

目と指が最高に痛ーーーーい!

何でかちゅうーと、午後4時頃からずっと原稿書いたり、ネット見たりしてるから。

今朝は午前6時に起床。日立のブログ用に「モロカイ・ホエ/(モロカイ島からオアフ島までのカヌー・レース)」を取材する日なのです。

コーヒー・メーカーのスイッチを入れ、モーニング・コーヒーが出来る迄の間にツナサンドを制作。40分程で準備が整い、自宅を出発した。と言っても、車を修理に出してるので、自転車で。

外に出ると、昨日の雨は嘘のように晴れ渡り、日曜日の為か早朝の道路もかなり空いてて、自転車通勤が最高に気持ちよかった。

午前7時15分、ゴールである、ワイキキビーチ、デュークの像に到着。

レースはモロカイを午前7時半にスタートする。例年トップのチームは5時間以内にゴールするので、午後12時半前には優勝チームがワイキキへ辿り着くはず。今年は100チーム以上も参加してるらしいので、壮大な上陸に成りそうだ。

ところが、、、、、、

50715am01.JPGビーチには大会のバナーも無く、大会本部も見当たらない。本当にここがゴールなのかと一抹の不安がよぎるが、ここはハワイ。スロー・スターターのハワイアンさんはゴールの2時間前(午前10時半頃)から設営を始まるのではとポジティブ・シンキングに切り替え、空いてたベンチに腰掛け、朝、自分で作ったツナサンドを食べた。

午後10時。

ビーチは観光客で溢れ、6人乗りのカヌーを100隻もランディング出来る状態では無いのは一目瞭然。

この時点でかなり不安に成って来たのですが、寝不足で頭も回らず、どうする事も出来なかったので、ミラクルを信じて待ち続けた。

そして、午後12時15分。

沖合の誘導船の後に一台のカヌーが見えた!

来たぞーーーーーーーっ!!

しかし、なんか様子が変。

ワイキキにまっすぐ来ないで、西にヒルトンのほうへ移動してる。そしてゴールラインらしき噴水を誘導船が吹き上げ、カヌーは動きを止めた。その後10分間の間に5台程のカヌーが来たが、どのカヌーも同じ地点でストップ。どうやらゴールは沖合に設置されたブイらしい、、。

ゴールエリアの沖合にはサーファーが100人以上。ビーチに至っては300人以上の観光客が寝そべってるので、そんな所に6人乗りのカヌー100台上陸させるのは無理だって事は今年100歳に成ったワシの婆さんでも判ったはず!第一回目の取材からトンでもないミス犯しちゃったよーっ!

goal007.JPG苦し紛れに僕の安いデジカメを最大ズームにして撮ったけど、こんな写真じゃ使い物に成らないでしょう。しょうがないので、アラワイ運河沿いのカヌークラブへ行き、レースで使用されてるカヌーと同タイプの物を撮影し、原稿を書く事にした。

5時間ワイキキで待った後、自転車でアラワイ経由で家に帰ったのは午後2時。疲れきって1時間程昼寝して、午後4時頃から原稿を書き始めた。

写真こそは良い物が撮れなかったが、原稿は良い感じに書けた。締め日が明日の午後なので、今日、担当者に送ろうかと思ったのですが、一日寝かして読み返したいので、明日の午後、(締め切りギリギリに!)送る事にしました。この原稿は10月23日公開予定です。僕のこの日の生き様がどのような原稿に成ったか興味のある人は覗いてみてください。

2007年10月06日

「パンク直したぞ」

ここんところホノルルは良く雨が降ります。天気予報でも連日「曇り時々雨」がずーっと続いてるんだけど、既に雨期に入ったのか?ちゅう感じです。

昨日、10月15日からのロケの事をあれこれ考えながら運転してたら、危うく一時停止をノンストップで通過しそうに成り、慌ててブレーキを踏んで止まる事が出来たものの、そこからブレーキの調子がおかしく成ったので、ワイキキでのロケハン後、いつも行ってる修理工場に車を預けて徒歩で家に帰った。

明日は「モロカイ・ホエ/モロカイ島からワイキキまでのカヌーレース」を取材に行かなければいけないのですが、修理工場が土日と休みなので車は水曜日迄直らないらしい。

我が家にはもう一台、嫁の車が有るので、それに乗って行く事も考えたのだが、例年トップでゴールするチームですら5時間弱のタイムがかかるらしく、そうなると昼過ぎまでワイキキに滞在する事に成り、その間は嫁と息子がどこにも行けないので、パンクし、放置したままの自転車を修理して、明日は自転車でワイキキまで行く事に決めた。

朝起きて窓の外を見たら既に大雨。午前9時半頃に雨が止んだのでパンクした自転車を押しながらモイリイリに有る自転車の修理場を目指した。ところが、家を出て5分もしないうちに再び大雨が降り始めたのです!

雨宿り出来る所が近くに無かったので、雨の中、5分程自転車を押し続けた。ようやく雨宿り出来そうなスーパーマーケットに辿り着いた頃には雨が一時的に止んだので、ずぶ濡れのまま自転車を押し続け、10分後には自転車の修理場に辿り着いた。

50bikeflat15.JPGこの修理場は3年前に僕が自転車レンタルのバイトをしてた時、そこでレンタルしてた自転車を修理してくれてた所。この日も顔馴染みのスタッフが居て、なんと僕の修理代を無料にしてくれた!アロハ・スピリッツだね〜〜〜っ。嬉しいな〜っ。

パンクを直してもらってる間も一時的に大雨が降ったりしたが、修理が終わった所でピタリと止み、少しだけど晴れ間も出た。このチャンスを逃しては!とペダルを蹴り、一気に家を目指してこぎ続けた。

明日、レース取材後にはすぐに原稿を書き上げ、日本に送らないといけないので、家に帰ってからは原稿書きに没頭します。長い一日に成りそうですが、いつもの仕事とは全然違うので、新鮮で楽しみでもあります。

2007年10月05日

「なんだか忙しくしています」

ココ数日間は10月15日から始まるロケのリサーチや仕込みに追われています。

昨日はノースショアまで行き、今日はヌアヌや町中で、撮影候補のロケ地の写真を撮ったり、それぞれのロケーションの撮影許可申請、ロケの見積もりなどを作ったりしています。

このロケはスタッフも少ない小さなロケで、撮影前の仕込みと当日の動きを全て自分一人でやらないといけないので事務作業が面倒でもありますが、色々学ぶ事も多いです。

明日から週末に入り、誰とも連絡が取れないと思うので(アポが取り辛いので)、明日、明後日はこの仕事から離れる事が出来、少しは気分をリセット出来そうです。

日曜日には日立のブログ用にワイキキへ「モロカイ・ホエ/モロカイからワイキキ迄のカヌーレース」を取材に行きます。取材後、すぐに原稿を書き上げ、翌日迄に日本へメールしないと行けないのですが、良い感じで忙しく、苦になりません。

p.s
今日、ロケハン中に車のブレーキがおかしく成り、ロケハン終了時にそのまま車を修理工場へ入れました。又$1000位修理にかかるかも、、、。

2007年10月02日

「Hitachi」

2000年暮れから僕はコーディネーターとして働いていますが、その頃からハワイ関連のライターとして活動の場を広げればと思って来ました。

長く僕のブログを読んで頂いてる方は、このブログを立ち上げた当初、その目標を公言したのを覚えてくれてるかもしれません。

その目標にこの度到達する事が出来ました。日立の運営する「この木何の木」のサイトでハワイ・コラムと毎月アップロードされる壁紙へのコメントをワンクール(3ヶ月間)だけですが、僕が書かせて頂く事に成ったのです。

数日前に僕の第一原稿(10月の壁紙コメント)がアップロードされ、自分の文面が自分のサイト以外の所でアップロードされた事は自分に取ってとても感動的な事でした。

自身のブログで好き勝手に書くのと違い、日立という大企業のサイトにコメントを残す場合、言葉や言い回しなどもも選ばないといけませんが、これら全てがとても勉強になり、この仕事でさらにステップアップ出来、次の仕事に繋げればと思っています。

この場を借りて、これらを可能にしてくれた日立の関係者の皆様に感謝すると同時に、自分で可能な限り良い原稿を書き上げ、日立のサイトに少しでも貢献出来ればと思っています。

2007年10月01日

「ロサンゼルスから戻って来ました」

昨日、午後7時にロサンゼルスからハワイへ戻って来ました。これから経費の清算や、今月半ばに行うロケの準備など、まだまだやらないといけない事が沢山有るのですが、実家で(カリフォルニア州オレンジ・カウンティー)3日間ほど休め、気分的に少しだけ落ち着いたような気がします。

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9月20日から雇用されてたコマーシャル撮影。連日3〜4時間睡眠で体力的に辛かったけど、9月25日に無事全行程を取り終える事が出来ました。しかし、撮影後の翌日、撮影したフィルムを僕が一人でロサンゼルスへ運ぶ事に成り、これが凄く大変でした!

手荷物として持ち込めるギリギリの大きさの鞄2個にフィルム「31巻」をパンパンに詰めて行ったのだが、まずチェックイン・カウンターで「その大きなの荷物なら機内には一つしか持ち込めない」とチェックインすらさせて貰えなかった。

現像前のフィルムはX線に通せないので(手荷物検査を通れないので)、チェックイン後、別室でフィルムを調べられ、その後、係員のエスコートでX線の機械を迂回し、ゲートに向かうのですが、それをいくら説明してもユナイテッドの職員は「一つ預けろ(預けた荷物は自動的にX線の機械に通される)」の一点張り。聞く耳すら持ってくれなかった。

どうにもならないので、最終的にはフィルムが入った鞄を先に検査用の別室で待機してたカメラ・アシスタントに預け、手荷物を持ってない振りをしてチェックインした。

別室でのフィルム検査を終え、ゲートへと向かった僕は、搭乗口であたりを見回したが、一発で規定量を上回る荷物を抱えてるのは僕だけで、限りなく不審者。

いよいよ搭乗の時、ここで再びユナイテッドの職員に「手荷物の量が多すぎる、ここで一つ預けてくれ」と言われた。しかも、チェックインの時にもめた同じ職員が今度は搭乗口に居たのだ!絶対絶命である!

幾ら説明してもユナイテッドの職員は機内に荷物2つを持ち込む事を許してくれず、ファーストクラスなら出来るかもと思い、カウンターでアップグレード出来ないか聞いてみたのですが、本日はソールド・アウトの満席。

乳母車などを搭乗口で預ける場合、それらの荷物はゲートに辿り着く前に、既に検査を受けてるので、X線にかけられる事は無く、そのままスーツケースなどが詰められてるエリアに放り込まれる。

しかし、もし、誰かが僕の事を怪しいと思い、「一応調べて見るか、、」とX線の機械に未現像フィルムが入った鞄を流し込んだら撮影が全て水の泡になるので4000万円以上の被害になる。

この日は飛行機に乗らず、翌日二人でフィルムを運んだほうが安全なのではないかと考えたのですが、判断が出来ず、「早く荷物を預けろ!」と耳元で叫んでるユナイテッドの職員の横でプロダクションの責任者に電話した。

5plane005.JPG責任者との電話で「ユナイテッドの職員がX線に通さないと言ってるのなら一つを預け、もう一つを手荷物で持ち込んでくれ」と言われたので、僕はフィルムの入った鞄一つをギブアップし、機内へと乗り込んだ。

ロサンゼルス迄の5時間のフライト間はフィルムが無事かどうか、終止気になってしょうがなかった。

ロサンゼルスに着いたら、現地の編集アシスタントの人がバゲージ・クレームで待っててくれ、そこで彼にフィルムを渡して僕の任務は終わり。午後9時、飛行機は予定通りロサンゼルス国際空港に到着し、僕はすぐにバゲージ・クレームへと向かった。

バゲージ・クレームに居た編集所の人にココ迄の経緯を話、機内に持ち込んだフィルムと預けたフィルム入りの鞄がターンテーブルを出て来た所で彼にフィルムを渡した。

ここで終わりのはずだったのですが、なんとそこで「これから一緒に現像所に行ってもらいます」と言われたのだ!

しかも、現像所の場所を聞いたらロサンゼルスから北へ50分のバーバンク(burbank)という場所で親父の実家のあるオレンジ・カウンティーとは真反対。ロサンゼルス国際空港からバーバンクまで50分。そこから実家まで戻ったら2時間かかるから計3時間もかかる。

ハワイでのドタバタとフライトの疲れもあり、この話を聞かされた時は正直腹がたったが、現像所に届ける迄は僕の責任らしく、空港へ迎えに来てくれたアシスタントの車に乗り込み、現像所へ。

フィルムを届け、ロサンゼルス国際空港に有るレンタカー屋に着いたのは午後11時半。車を予約してたのが午後9時半だったので、既に2時間の遅刻。この日僕は一番安いコンパクト・カーを予約してたのですが、レンタカーは全て出払っており、駐車場はガラガラ。

駐車場を歩いてた係員を呼び止め、話を聞いてみると「車は全部出てて、今は一台も無いが、ドンドン返却されてきてる。すぐに洗車して持ってくるのでココで待っててくれ」との事。

駐車場には僕以外に5組ほどが車を待ってる。長い待ちになるかも、、、、。深夜近い駐車場で待ってる間、7時間ぶりのタバコに火を付けた。9月末のロサンゼルスの夜は寒く、上着無くては過ごせないほど。

15分程で先ほどの係員がミニバンに乗ってやって来た。「コンパクト・カーが帰ってこないのでこれに乗ってくれ」と言われ、深夜前、ミニバンに乗り込みようやくロサンゼルスを出る事が出来,
この日を終えた。

ibanez002.JPG翌日(9/27)からはのんびり過ごす事ができた。半年前にebayで落札した70年代のibanez製アコースティク・ギターとも初対面。ペグが少し甘いので、ゆくゆくは変えないといけないだろうけど、アコギは持ってなかったので、凄く嬉しい。翌日、ギター・センターで新しい弦を購入し張り替えたら、けっこう良い音してた。

28日はハリウッドのメルローズへ買い物に出掛けた。洋服を初め、ハワイで売ってるものはどこも似たような物ばかりなので、何か違う物がないかと思って友達と二人で行ったのですが、これといって気に入った物が無く、サンセット近辺にあるハリウッド名物「OKI DOG/オキ・ドッグ」でオキ・ドッグを食べて帰った。

5okidog001.JPG「OKI DOG/オキ・ドッグ」とはトルティーア(ブリトーの外皮)にホットドッグ2本、チリ、パストラミを包んだ、豪快肉サンド($3)で、沖縄の人が発案したので、「OKI DOG/オキ・ドッグ」の名前を付けたらしい。

「OKI DOG/オキ・ドッグ」は最近ハワイにも支店を出したらしいが、どこに有るんだろう?取りあえず「OKI DOG/オキ・ドッグ」ではオリジナルTシャツを$10で購入した。

次回のロケは10月15日から。少し時間があるのですが、次のロケは全て自分でコーディネートするので、しばらくはリサーチやロケの準備に追われそうです。